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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

黄檗宗(おうばくしゅう)

お題目は、読経時に「唐音(とうおん)」と呼ばれる中国式の読み方で「般若心経(はんにゃしんぎょう)」を唱えることが特徴です。勤行の際には「南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)」を唱えることが「経文香」として販売されていますが、これは曹洞宗臨済宗でも使用されるもので、黄檗宗独自の「お題目」とは限りません。
開祖:隠元(真空大師)
本尊:釈迦牟尼佛
中国の禅僧である隠元隆琦(いんげんりゅうき)によって日本に伝えられた日本の禅宗の一派です。
教義・修行・儀礼・布教などは日本の臨済宗と変わらないが、儀式の形式や使われる言葉は中国・明時代の様式。
明朝末期の中国禅の教えを反映した「混淆禅(こんこうぜん)」という特徴があります。
読経は古い中国語の発音で行われており、「黄檗唐音(とういん)」と呼ばれている
座禅を大事にする禅宗として、江戸時代に広まった
「唯心の浄土・己身の弥陀」という言葉に要約される教えが特徴

中国様式萬福寺の伽藍や儀式作法、仏教音楽には、中国の明朝様式が色濃く残っています。
念仏禅:他の禅宗にはない特徴として、座禅と並行して「念仏禅」を行う点も挙げられます。念仏禅とは「南無阿弥陀仏」と唱えて座禅を組み、自分自身が持つ仏性に気づくための修法。
普茶料理(ふちゃりょうり):中国式の精進料理である普茶料理が、黄檗宗の伝来とともに日本に広まりました。

隠元禅師は、仏教だけでなく、煎茶、レンコン、インゲン豆などの文物を日本にもたらしました。
現代における黄檗宗
明治時代に一度臨済宗に合併させられましたが、2年後に「黄檗宗」として独立しました。
読経の際に中国式の発音「唐音(とうおん)」を使うなど、その中国的な伝統が受け継がれています。

掛軸:ご本尊は釈迦牟尼佛、左右の脇侍は迦葉尊者阿難尊者です。
本山:黄檗山(おうばくさん)萬福寺

関連

  • 般若心経(はんにゃしんぎょう)は、大乗仏教の「空(くう)」の思想を約262文字に凝縮した、もっとも親しまれている経典の1つです。観音菩薩が執着を捨てて心の平穏を得るための「真実の知恵(般若)」を説いた内容で、お葬式や法要、写経などで幅広く唱えられています。
  • 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)は、仏教の開祖であるお釈迦様(釈迦如来)を敬い、心から帰依(信じて身をゆだねる)することを表す言葉です。「南無」はサンスクリット語の「帰依・帰命」を意味し、「釈迦牟尼仏」は釈迦族の聖者(ブッダ)を指します。主に禅宗や天台宗で唱えられ、感謝や救いを求める祈りとして使われます。
  • 経文香(きょうもんこう)は、火を灯してしばらくすると、燃え尽きた後の灰に「南無阿弥陀佛」「南無妙法蓮華経」などの文字(経文・お題目)が浮き出てくる、特徴的なお線香です。主に月命日、お盆、お彼岸といった特別な供養の席で使用され、フローラル調や白檀の香りで煙が少ないタイプが一般的です。
  • 隠元隆琦(いんげんりゅうき):明末清初の禅宗の仏教僧。江戸時代初期に来日し、日本黄檗宗の祖となった。俗姓は林氏。福建省福州府福清県の出身。 隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅と様々教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。
    生まれ: 1592年12月7日, 中華人民共和国 福州市 福清市
    死去: 1673年5月19日, 京都府 宇治市
  • 混淆禅(こんこうぜん)とは、主に江戸時代に中国から伝来した黄檗宗(おうばくしゅう)の禅を指し、従来の日本の禅(臨済曹洞)に、当時の中国のトレンドであった念仏や浄土教的な要素が混合されたスタイルのことです。隠元隆琦(いんげんりゅうき)が伝え、不立文字(文字に頼らず心を伝える)の禅に「阿弥陀仏」を唱える「念仏禅」が加わったのが最大の特徴です
  • 普茶(ふちゃ)料理とは、江戸時代初期に隠元禅師が中国から伝えた、黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院に伝わる精進料理です。4人が1卓を囲み、大皿に盛られた植物油や葛を多く使用した濃厚で色彩豊かな中国風料理を、平等に分かち合って食べる形式が特徴です。
  • 迦葉尊者(かしょうそんじゃ)は、釈迦の十大弟子の一人で、「頭陀(ずだ)第一」と称される清貧の修行の第一人者です。摩訶迦葉(まかかしょう)とも呼ばれ、釈迦入滅後に教団をまとめ、教典を編纂する第一結集(けつじゅう)を主導した、釈迦の信頼厚い後継者です。
  • 阿難尊者(あなんそんじゃ)は、釈迦の十大弟子のひとりで、釈迦の従弟にあたります。生涯にわたり釈迦のそばに仕えた侍者であり、釈迦の教えを多く聞き、よく記憶していたことから「多聞第一(たもん だいいち)」と称されます。仏典の編纂において、阿難尊者が記憶した釈迦の教えは大きな役割を果たしました。また、女性の出家を釈迦に認めさせた功績も残しています。