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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。
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松山城
愛媛県松山市丸之内1
日本で12か所しか残っていない、江戸時代までに建造された天守を有する城郭の一つです
(
現存12天守
)
日本三大平山城
松山城の創設者は
加藤嘉明
です。
関ヶ原の戦いの功により20万石の大名となった嘉明は、それまで居城としていた正木城(愛媛県松前町)では手狭になったと考え、松山平野の中央に位置する勝山に新たに城を築くこととし、慶長7年(1602)1月に築城を開始しました。
慶長8年(1603)にそれまで「勝山」と呼ばれていた地名を「松山」と命名。築城工事は約四半世紀も続きましたが、寛永4年(1627)、城郭が未完成のまま嘉明は会津40万石に転封となりました。
代わって出羽上山から入封した蒲生忠知が築城を完成させましたが、寛永11年(1634)、参勤交代の途中に急死し蒲生家は断絶となりました。
その後大洲藩主の加藤泰興らの在番を経て、翌12年、徳川家康の甥にあたる松平定行が伊勢桑名から15万石で入封し、以来14代世襲して明治維新に至りました。
2024年4月
関連とご近所
加藤嘉明(
かとう よしあき)。豊臣秀吉の子飼いであり、「賤ヶ岳の七本槍」の1人として知られる武将。
「
賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍
」とは、1583年の「
賤ヶ岳の戦い
」で羽柴(豊臣)秀吉の勝利を決定づけた、福島正則、加藤清正ら7人の若き武将たち。彼らは秀吉に直接仕える「子飼い」の若手で、戦場での目覚ましい活躍を称えられ、その後の豊臣政権下で大名へと出世した。
【
賤ヶ岳の七本槍メンバー
】
福島正則(ふくしま まさのり):最も多い5,000石を加増された。
加藤清正(かとう きよまさ):秀吉と同郷の若手。
加藤嘉明(かとう よしあき):後に大名として活躍。
脇坂安治(わきさか やすはる):秀吉の軍団で頭角を現した。
片桐且元(かたぎり かつもと):賤ヶ岳の戦いで武功。
平野長泰(ひらの ながやす):若き武勇の士。
糟屋武則(かすや たけのり):別所氏から秀吉の家臣となった。
賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い
は、1583年に豊臣秀吉が柴田勝家を近江国(滋賀県)で破った、本能寺の変後(1582年)の天下の主導権を決定づけた合戦です。秀吉が勝利して織田信長の後継者としての地位を確立し、関白就任・天下統一への基盤を固めた「天下分け目の戦い」とされています。
日本三大平山城:
津山城
(岡山)
日本三大平山城:
姫路城
(兵庫県)
現存12天守:「
弘前城
」、「
松本城
」、「丸岡城」、「
犬山城
」、「
彦根城
」、「
姫路城
」、「
松江城
」、「
備中松山城
」、「
丸亀城
」、「
松山城
」、「
宇和島城
」、「
高知城
」 (太字は国宝四城)
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