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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

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武内宿禰(タケノウチノスクネ)建内宿禰

大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物。 「記紀」によれば,孝元天皇の子孫,日本最初の大臣,神功皇后の新羅征伐に従軍し,景行,成務,仲哀,応神,仁徳の天皇に仕え,二百数十年間,官にあったという。


武内宿禰(たけのうちのすくね):千栗八幡宮西寒多神社
武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)日本書紀:氣比神宮宇倍神社住吉神社
建内宿禰(たけうちのすくね)古事記

生まれ: 西暦84年, 和歌山県 和歌山市 安原八幡神社
埋葬地: 鳥取県 鳥取市 宇倍神社、 京都府 精華町 武内神社
父: 比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)
母:山下影日売(宇豆比古の妹)
子: 蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)、平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね)、木菟宿禰(つくのすくね)、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)

武内宿禰(たけのうちのすくね)は、伝説的な人物で、330歳まで生きたという伝承があります。景行天皇から仁徳天皇までの五代にわたり、天皇に仕えたとされ、神功皇后の新羅征伐を助けたとも伝えられています。
武内宿禰(タケノウチノスクネ)
長寿の象徴:330歳まで生きたという伝説から、長寿の神として信仰されています。
五代に仕えた大臣:景行成務仲哀応神仁徳の五代の天皇に仕え、大臣として活躍したとされています。
神功皇后を補佐:神功皇后による新羅征伐(三韓征伐)を補佐したと伝えられています。
中央豪族の祖:蘇我氏、平群氏、紀氏、葛城氏など、中央豪族の祖とも言われています。
ゆかりの地:和歌山県には、武内宿禰ゆかりの地が数多く存在し、長寿にあやかろうと多くの人が訪れます。
武内宿禰に関する主な伝承:
安原八幡神社の奥宮・武内神社:産湯に使ったとされる井戸や誕生地碑があります。
産湯八幡神社:神功皇后が皇子を出産した際に、武内宿禰が守護したと伝えられています。
武雄神社:360歳まで生きたという伝承があり、長寿の神として崇敬されています。
渡来系氏族との関係:一部の説では、武内宿禰は渡来系氏族の指導者であった可能性も指摘されています。
秦氏との関連:秦氏の祖である秦の始皇帝と関係があるという説もあります。
複数の人物の複合体:複数の人物の伝承が混ざり合って、武内宿禰という人物像になったという説もあります。
武内宿禰は、その長寿と忠誠心から、多くの人々に崇敬され、その存在は古代史における重要な鍵を握るとも言われています

関連

  • 比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)は、記紀(古事記・日本書紀)に登場する第8代孝元天皇の皇子であり、武内宿禰(たけうちのすくね)の父または祖父とされる人物です。紀氏などの祖神として崇敬され、古代の有力豪族の系譜において重要な位置を占めています。
  • 蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)は、伝承上の人物で、蘇我氏の始祖です。武内宿禰の子供の一人で、蘇我大臣家(蘇我満智ら)の祖とされ、大和国高市郡曾我(現在の奈良県橿原市付近)を拠点にしたとされています。
  • 平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね、生没年不詳)は、古墳時代の伝説的な人物。武内宿禰の子で、平群氏の祖とされる。仁徳天皇と同学年とされるほど長寿の伝説があり、外交や政務で活躍した豪族である。また、奈良県の平群坐紀氏神社では祭神として祀られている。
  • 木菟宿禰(つくのすくね、生没年不詳)は、古墳時代の伝説的な豪族で、平群氏(へぐりうじ)の祖とされる人物です。武内宿禰の子であり、仁徳天皇と同時に生まれたとされ、外交や履中天皇の擁立で活躍したと記されています。
  • 葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)は、4世紀末〜5世紀前半に活躍した古代ヤマト王権の有力豪族・葛城氏の祖。武内宿禰の子で、仁徳天皇の皇后・磐之媛命(いわのひめのみこと)の父として皇室の外戚となり、対朝鮮外交・軍事で活躍した伝説的な人物です。
  • 13代成務天皇(せいむてんのう)は日本で初めて行政区画を定めたとされている。考古学上、実在したとすれば4世紀中ごろに在位した大王と推定されるが、定かではない。